my soul
あなたが信じるものが、目の前にあります。あなたが信じていることが、現実として経験すること。
良いと感じることも、悪いと感じることも、自由と感じることも、不自由と感じることも。
昨夜、いろんな気持ちが湧き上がってきて泣けてきたので泣きました。とても気持ちよかった。
泣きたくなる理由っていうのはひとつではなく色んな想いが溢れてくるとき。
嬉しいことも、残念だったことも、感謝も、後悔も、全ては同じ感情を味わう豊かさの部分。
嬉しいことだけ思い切り感じたいけど、苦しい部分は観たくないといっても、溢れる場所は同じ出どころ。
だから分けることは不可能であって、両方を受け入れ味わい尽くすことこそ豊かだということ。
好きな人と好きなことをするということに素直になること。
好きじゃないと感じることはゆっくりと穏やかに離れていくこと。
そこに理由など要らない。
ただそのシンプルな選択は、自分のことをフルに感じないとわからない。
好きは好き、喜びやワクワクや心地良さや楽しさは、ボヤッとした感覚ではそれらが観えない。感じることがわからくなっているから。
好きでも嫌いでもないどちらでもないこと。このどちらでもない曖昧なことがたくさんあるのは、私たち日本人はそれを受け入れる大きな器のようなDNAみたいなものでもあるよねと思ったりもします。
【仕方ない】【しょうがない】【どちらでもいい】という受け入れる器は、良い側に転ぶ意味では協調性や調和にも観えるし、波風立てない、丸く収めるということにも繋がるからそこは関しては素晴らしいと思う。
でも良くない側に転ぶ意味では、本当は仕方なくもないし、しょうがないと思っていない場合は自分の内側でいつも波風が立っているし、丸くなど収まってはいない。ザワザワしているし、ピリピリチクチクととんがっていたりする。
そしてココの部分が現実となって現れてきたら…。
波風が立つような、丸く収まらないような、ピリピリチクチクとした出来事が起こってくるのです。
信じてるものが、どちらにせよ形となり、現象として出て来ます。
わたしのスタンスは、今出てくる出来事は、結局自分の中から出てきたものであるとしっかり丸ごと受け入れつつ、内側の声はもう次のモノをつくることに集中する。
『今ここと、今これからを、今創る。』
観たい世界を観るために。
